2012年10月1日月曜日

頂いたコメントへの返答として。。。雄勝難民を生まないように

管理者の石井です。皆様のご意見ご指摘に感謝申し上げます。
避難先の方々からのお話同様、この場でのコメントひとことひとことにも胸が痛みながら聞かせて頂いております。

おっしゃる通り、住民の意見をすべて聞いてから計画を決めるなど不可能です。
他被災地を見るまでもなく、個々人の主張を整理してまとめることで必ず対立意見は出ます。予算の先取りや復興を必要以上に遅らせないためには、時には、大英断で『こうする』と決めてしまうことも必要だと思います。

残念ながら、これまでの行政の姿勢は、極端に住民の意見を聞かない、あるいは意図的に無視する姿勢に偏っていたので、私が住民側の意見を聞いてほしいと強く伝えているのは事実です。
行政側が「俺は(浸水した)元の所に住みたいなんて奴は一人も聞いたことねぇ。いるなら連れてきてみろ」(H23.10.14)という態度で住民に対峙している限り、良い復興にはならないと思うのです。昨年6月の全世帯アンケートを見ればそんなことはないのが分かるはずなのですが、わざとそういう態度に出るのが残念です。
※誤解なきように、高台に住むという選択があることは当初から否定したことはありません

元の地区以外に移転候補地を望んでいないこともアンケート結果に出ています。
にもかかわらず中心部を原地区に集約する案でまとめようとした事に対して、一部の住民が猛反発したことはどうでしょう?彼らがはっきりと言わなければ、今の計画にある伊勢畑や雄勝中ウラの候補地もなかったはずです。そうなると、雄勝に戻りたいと思う方のうち何人が戻って来る選択ができたかどうか。

それぞれの事情や考えで、もう雄勝に戻るのは難しいと選択されることも否定するわけではありません。そのような方にも、できるだけ良い条件で移転できるように、多くの意見を反映させるべきだと思っています。

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たとえば、防災集団移転促進事業によって石巻市街地や河北地区への移転を選択される方について、さらに予期しない事態が起ころうとしています。

蛇田地区などへの移転は、中心部の移転地確保困難などの事情で旧石巻市民が優先されることは、先日のおがつ新聞にもお伝えしたばかりですが、今度は『河北地区への移転についても旧河北町民が優先されます』と、雄勝の方が市に聞いた際に返答されたとの事実が明らかになっています。昨日の石巻市震災復興推進会議でも河北地区の用地交渉が難航していると説明がありました。

石巻市が公表した、半島部における意向調査結果。(表を押すと拡大します)
河北地区では約200世帯(河北187+旧市内7)が移転の意向に対し、
雄勝地区では約250世帯(河北119+旧市内127)が移転の意向という結果。
河北への移転候補地は、ともに上品の郷の前あたり、と説明されている

学校や病院、普段の足などの理由で、やむなく雄勝を離れる選択を取らざるを得なかった方々にとって、石巻は無理、河北も後回し、という扱いをされる理由はどこにあるのでしょう?

仮設住宅入居の際のように、散々待たされた挙句に、候補地がないからといって、地域のまとまりもなく離散ということになる可能性はないでしょうか。そんな扱いをされ待たされるなら雄勝でもいいや、と思っても、雄勝を選ぶ期限は今年の11月でおしまいです。後から騒いでもまた、あとの祭りです。
そうなると、本当に行き場を失ってしまうのです。

雄勝難民なんて冗談はありません。

北上、牡鹿、河北では旧町内に移転する方が大半なのでこのような心配はありません。何も言わないでいると、被災地全体からみて宮城県の石巻市のほんのわずかな避難者が困っている、という程度にしか扱われないことになりかねません。

このような事態になる前に、最低限でも住民の声を伝えていくことは必要と思っております。

2012年9月21日金曜日

雄勝小学校のまちづくりプラン (9/22雄勝店こ屋街にて一般公開)

 9月22日に雄勝店こ屋街で「こどもサミット in 雄勝」という
イベントが行われ、その中で雄勝小学校の6年生が
考えたまちづくりプランの発表がありました。


支所のプランをベースにしているものの、自ら
小学生の保護者に細かいアンケートをとった上で
その結果を反映したまちづくりプランを作り上げています。

今年2月に雄勝小学校の生活発表会で披露し、初の一般公開でした。

素晴らしい発表の様子はこちらで → youtube

まちづくりプランの説明はこちら → pdf資料



2012年9月20日木曜日

住民の希望を優先する復興計画は非常識?

「そもそも、日本という国は、大災害が起きた際の復興計画で、
政府(行政)が住民の意志を優先しようという発想はないですよ」

「、、、大災害の復興で優先されるのは、復興を名目とした
官僚(省庁)の予算争奪、ゼネコンや大手企業の利益、
政府(行政)の長期政策の実現化、学者の研究材料、
そして政争の具ですよ」

「、、、これらの力関係で水面下の復興計画(大命題)が
決まった後、その計画に住民が賛同しているという
世論やデータを作っていく”作業”がはじまります。
それがこの国の復興計画というものです」

、、、私が批判しているのではありません。

復興を計画する側にある官僚、行政、学者、コンサルタントなどの方々に
本音を聞くと、『実際はこんなもんですよ』と、もはや共通認識のように
説明してくださいます。 一人や二人でなく、何百人と直接話を聞いても、
このような方針は、計画する側では当然との認識が帰ってきます。

悲しい。

なさけない。




 『住民の声を聞いてほしい』

私達はそれを伝えたいだけなのですが、
大災害の復興計画では非常識だというのです。


行政やその協力者は、冒頭の「大命題」に沿っていれば順調に仕事が進みます。
もし、逆らって住民の意思を反映しようとすると、大変な目に遭います。

阪神大震災では、勇気ある行政職員や専門家が、大袈裟でなく、
自らの将来を投げ打って、住民の声を聞いた復興計画を支持しました。
その多くは潰されましたが、その方々によって、住民の声が優先して
反映された計画が進んだケースもありました。

このブログに目を通されて、住民の声を聞かなければ、と
一人でも多くの方が動かれましたら幸いです。

2012年9月18日火曜日

石巻市HPで災害公営住宅情報が掲載されていました

石巻市のホームページで災害公営住宅情報が掲載されていました。
8月27日付で公開されていたようです。
随時更新されるようですので時々チェックしてみましょう。

http://www.city.ishinomaki.lg.jp/fukkoujyuutaku/saigaikouei.jsp (URL変わったようです9/29)

市街地は着々と公営住宅の建設が進行しているようです。

公営住宅の家賃については、6月の個別相談会の時点の資料と同じです。
市の中心部と半島部で家賃がどう違うのかはまだ資料には載っていません。

6月の個別相談会では、支所で住民が説明された情報やおがつ新聞で市役所に取材した数人の説明は各々違っていました。少なくとも私が市役所で同じ質問を3名に聞いた時には 
・「半島部は周辺家賃を考えても当然中心部より安くなる見込みです」といわれた方もあれば、
・「公営住宅の建設費は土地より建物が主なので半島部も中心部も同じです」と言われた方、
・「中心部は集合住宅だけど半島部は戸建になるのだから半島部の方が高くなります」と言われた方もあり、まちまちでした(笑)
 どうも、その時点では支所だけでなく、市役所でも半島部の情報が定まってなかったようです。

 ただし、説明を聞いた本庁の職員は説得力のある理由とともに「こうなります」と断言される傾向にあるのが困ります。本当に決まっていることならいいのですが、未定の事については、単に決まっていないと言って頂ければありがたいですね。 本庁では夜遅くまで仕事されているようでマンパワー不足を責める人はいないのですから。

 上にあげた公開情報ページの中ほどに、『災害公営住宅ガイドライン』↑ というリンクがあって、専門家向けでちょっとページ数の多いものですが、夢があって楽しい資料です。 理想がいっぱい並んでいますが、できるだけこの通りになればいいですね。

2012年9月15日土曜日

希望を持てる復興計画があれば復興は進む。タイミング次第で。。。

 先日、大学の先生が考えられた案を、計画が住民の意見を反映していない点において指摘させて頂いたのですが、本来であれば、雄勝のために立派な構想を描いてもらえる先生方や雄勝キッチンなど夢のある話は大歓迎と思っています。

 大事なのは、計画やイメージ・資料などを出す『タイミング』です。
(※もちろん、住民の意見が反映されていることが前提です)
せっかくの立派なアイデアも、タイミング/プロセスを間違えれば活かされずに終わります。


 雄勝の場合、プロセスが決定的に違いました。

 大学の先生の案を批判しているのでなく、何で今頃出すの?ということです。


 昨年秋の説明会以降、「伊勢畑の山は造成しても数軒しかたたない」「山公園を切り開いても10軒だけだ」「雄勝中の裏山も津波があがっているからだめだ」「雄勝の山の造成には5年以上、いや10年かかるかも」「そもそも雄勝の山は固くてもろいから危なくて住めない」「私は〇〇(町外)に家を買った、住めば都だ」 など、雄勝の中心部にはもう住めないような説明を繰り返し続け、今年2月の説明会では、「雄勝の中心地には住む所は用意しません。あなた方の住むところは2~4km山奥の原地区です」と実際に、雄勝中心部の非住化計画案まで、図面付きで発表がありました。

 そして、それ以降、中心部について具体的な進展がないままで、今年6月に最終意向調査として、雄勝に戻るかどうか結論を出させてしまっています。 その結果が「中心部に戻らない:85%」です。


 そこまで終わったうえで、今年8月になって、「雄勝未来会議」と称して、雄勝の中心部が生き返るような素晴らしい復興計画、立派な公営住宅のイメージを見せられたわけです。

『いまさら、何なの?』と、避難者が思うのも無理ないです。

東北大学雄勝スタジオが描いた中心部のイメージ図


 まるで雄勝から人を追い出すような計画を進めながら、同時に「雄勝を活性化させよう」と多くのアドバイザーの方が来られても、理解に苦しみます。 住む人がいてこそ、活性化の意味があります。 

 東北大学は小野田先生を筆頭に昨年5月から石巻市と復興計画で提携しているのだから、市の計画はほとんど関与されていたと思います。ちょっと雄勝に寄って案を考えてみました、というレベルでないゆえに、なぜ今頃、このような案を出されるのかは、やはり理解に苦しみます。 


 タイミング、ということを無視していえば、
 個人的には、(高台移転強制という条件しかないという前提であれば)説明会で東北大学が発表された案はとても魅力的だと素直に思います。配置などもよく考えられていると思います。これならば、他の被災地の一部であるような、山の上に限界集落だけができる高台移転でなく、100世帯が比較的納得して住む集落が形成されるのではないでしょうか。 伊勢畑に100世帯、雄勝中ウラと原地区合わせて200世帯にもなれば、中心部に600人程度住むことになり、商業も成り立ちます。

 いずれにしても、後の祭り、でしょうか。
 最初からこのような案が出ていればなぁ、、、と吐き捨てるように言う仮設住宅での声にも元気がありませんでした。

 

2012年9月14日金曜日

雄勝中心部の現状

町内外に避難される住民のみなさんの声を中心に、多くの専門家の方々に力添えを頂きながら、現状をまとめました。データは正式に公開された情報のみを引用しています。



画面をクリックすると開きます
 

2012年9月6日木曜日

石巻市雄勝町の復興: 大学アドバイザーの誤算 その5

亀山紘・石巻市長や市役所の幹部は、住民との意見交換会で
「雄勝のことは雄勝(総合支所)にまかせています」と公言しています。

2006年、雄勝町は、周辺5町(いわゆる「郡部」)と共に(旧)石巻市に併合され、(新)石巻市となりました。

そして併合後に、雄勝町役場を雄勝総合支所として、段階的に職員を1/3以下に減らした上、補充や補完も十分でないとのことです。 このような災害が起こり、現石巻市役所の根幹を成す旧石巻市の職員が「郡部」の復興を任せられても任せらないのが本音でしょう。


住民の声は伝わりようがないほど離散し、放ったらかしにされているのは
これまで述べた通りです。

つまり、
石巻市も、県も、そして、これまで雄勝を知らないアドバイザーの先生方も、
雄勝総合支所の『知恵』なくしては、計画の1ページもできないのです。


雄勝総合支所が石巻市に提出した資料には「雄勝スタジオ」作成のものが多数みられます。

計画をすべて知っているはずのアドバイザーが、
住民の意向に沿わない計画をつくる。

アドバイザーは被害者なのか?
それは、選定された経緯や、計画の進め方、そして今の石巻市からの待遇が明らかになったときに分かることでしょう。

(終)

参考:平成24年8月19日に行われた学生発表会および住民説明会の様子は
    下記サイトにて配布資料とともにyoutubeで見られます。

  http://ogatsu.info/fukko.html